ペットを溺愛する父と母


この愛するメス猫ちゃんには、前足が1本ありません。



6年前の秋のことです。
父の認知症らしい症状が見え隠れしていたある日、この猫は父と母の家に帰ってきませんでした。
「ペルちゃーん!!ペル.ペル.ペルちゃんやーい!!」
と、呼んでも足元に擦り寄ることは有りません。

次の日も また次の日も
エサ受けをトントン鳴らしながら呼び続けるのですが、谷に響くのは父と母の声のみです。

母から電話を受け、
「夜中にペルちゃんの鳴き声が聞こえたと、じいちゃんが…。」
「私もそのような気がしたんよ。」
「近くにいるのなら帰って来るはずよー。」
「いつもならお腹が空いてトコトコと弾むように私の所にやってきて擦り寄って…」
と、猫の安否を気遣う父と母の話が夜通し尽きないことを 聞かされます。

息のあった両親の姿を私が若い時に見たかったわ。と、思いつつ
「きっとどこかで元気にしてるよ。」
と、気休めにもなりませんが、母を慰めたり…。

居なくなって10日経ち、
猫は血を流しボロボロになって帰ってきました。
か細い声で
「ミヤーーーゥ.ミヤーーーゥ(わたし、哀しかったわ。苦しかったわ。会いたかったわ。)」と。
痩せ細った姿には、右足の先がありませんでした。
艶のあった毛はあちこちハゲて、もがき苦しんだ様子が伺えます。
この10日間が、過酷だったことを物語っていました。
山に入りイノシシ捕獲の仕掛にかかったのだろうと言うことでした。
即、病院へ行き処置をして貰いましたが、包帯を巻いた肩周りには右足は無く痛々しい姿でした。

その猫は、生命力があり、みるみる元気になりました。
3本足で母の両足に擦り寄り8の字を描きながら甘えます。
以前より上手に「ミャ〜〜〜.ミャ〜〜〜.ミャ〜.」と猫なで声です。


昨日は、母から頼まれていたペットの写真を現像し、父のもとへ届けました。

父と母は、動物が大好きです。
どうも子ども達が独立したあたりからそのようになったようです。
犬や猫を愛でながら
「大好きよ〜〜〜♡」と、頬ずりをして
「本当にかわいい!」
「コリーちゃん、ペルちゃん、居てくれてありがとう!」
と抱きしめて、掛ける言葉に愛が溢れています。

この表現を我が子にしていれば・・・
私の半生は、もっと気楽であった可能性は否めません。
私は、両親のペットの溺愛ぶりを見るに付け 時折寂しい気持ちになります。
仕方がありません。
両親に距離を置いてきた私に責任があります。

父と母は、自分のことを必要としてくれる存在を持つことで、生きがいを見つけたのでしょう。
自分がお世話をしなければ生きてゆけないから、可愛いのでしょう。

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私が「コリーちゃーん」と呼んでもつれない顔。

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