防波堤に立つ



孫が帰った。
久しぶりに散歩に出た。
腕を振って歩く。
防波堤に立ち、波と光と風を感じる。
確かに 心地よい。



その昔、十数年間新聞配達をしていた。
散歩をする余裕など全く無く
カブにまたがり毎日この地に立った。
完配するまで、誰にも邪魔されない 唯一自分の時間だったな。
何も感じない時間だった。
余計なモノを抱え込みたくなくて
視界、音、気配を断つ。
入ってくるモノは、みな不要だと思っていた。
ココに立っても私は何も感じ無かった。

今は、目、耳、肌で感じるモノを不要だとは思わない。
思い切って断とうとしていた頃、勿体ないことをしてたなー。
この心地よさは、何よりも代えがたい。


海、好きだな。
今日の波は少し騒がしかった。


夕刻、ふと気付いた
WordPress 虹色に進化してたね♬

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あらためて

LOVE
親が子供に最後に教えることは、自分の身をもっての「人間の死」・・・。

今夜、Blogの友から教えていただきました。

心が引き締まりますね。

子供達は私の姿をみて何を学ぶというの?全く自信無いしぃ~~~。

私はどんな死に方をするのでしょう。

「良い人生だった。」

そうつぶやきたいですね。

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私がBlogを始めた理由のひとつは、子供達に今の自分を残す為でした。

数年後は、子供達の銘々の進路で家系が火の車となるだろうから、日中の仕事+新聞配達をしようと心に決めていたからでした。

ところが先日、それを聞きつけた実の母が、哀願するかのように、「それだけはやめて頂戴!」と、泣いて泣いて・・・・・。

母は、私が新聞配達をしていた10数年、ゆっくり夜を過ごしたことが無く、ぐっすり眠っていなかったそうです。

雨が降っては共に冷たくなり、風が吹き込んでは重くなり、雷が鳴ってはドキッとし、雪が積もってはハラハラし、身も心も擦り減ったと言います。

感じていたものは、母も私も一緒だったようです。

交通事故を経験した私にとって新聞配達は、死と背中合わせの職なのです。

私は、なんて親不孝者なのでしょうね。

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6年前、長年の睡眠不足で、私の心は疲れていました。

夫の何気ない言葉にいつも寂しさを感じてしまい、暖かいものを願い過ぎていました。

そんな生きる気力が萎えた時、朝の5時の薄明かりの中、私は新聞配達中交通事故に遭いました。

あと一部で配り終えるという瞬間、自転車とトラックの衝突事故でした。

私は左足首骨折と腰椎捻挫、全身打撲という軽傷で命を取り留めました。

3ヶ月の入院中、家事の負担は13歳の長女にどっぷりと のしかかり、家族は生活リズムが掴めなくて、皆、爆発寸前だったといいます。

私は、家庭の一切合財は、やはり私がいなきゃダメね!と

退院時はスラックスではなく、白いフレアースカートを着て堂々とロビーに立つことを目標にリハビリに専念しました。

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今春は、ようやくハイヒールが履ける様になりましたよ。

今、生きていることを感謝して、自分から変わることを学び、素敵な空間をたくさん見つけました。

そうですね。改めて今後を見直すことにいたします。

これからの目標は、

「可愛いおばあちゃんになりましょう。」

今じゃないのよ! いずれ。いずれね♪

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お受験

スマイル

「 小正月 」 って、子供達は知っているかな?

毎年、1/15に正月が終わると、鏡餅を素手で砕いて火であぶり、おぜんざいに入れたり・・・餅を細かく切り、それを煎ってあられを作ったりしましたね。

お父さんがはずした注連縄は、地元主催のとうど祭りで焼いてもらって、その藁灰は魔除けになると教えられ、門の両サイドに置いていたでしょ。

近年、そんな風物詩は殆ど見ることはありませんが、私たち家族に出来る文化の継承はこれくらいかなって、毎年してきたことなんですよ。

今年の小正月は、何もしないまま、あっというまに過ぎてしまいました。

私は、子供達の大切な時に、新しい仕事を覚えることに必死でした。

「私たちも受験。母さんも受験ね。」の言葉に励まされています。

そうなんです。日常が是即ち入試だとばかりに はりきっています。

方向を換えることもできます。真っ直ぐに受けて立つこともできます。目前にあるものを如何に受け留めるか人それぞれだと思います。

が、受けて立つことで、自分に得るものがあるはずです。

私は、作夜、一泊二日の出張(松山)から帰ってきました。

この昼、長女は、センター試験の為、松山へむかいました。

さぁー、新しいことの始まりです。

目に見えない力が、湧き水の如く娘の中に流れますように。

LOVE

武道家たちが寒稽古に励む姿を見たことがあります。

思わず身が引き締まります。

むかった後は、肌を刺すような寒さととともに、達成感という心地よさを味わうことができるのだと思います。

私は十数年新聞配達の経験があります。豪雨や雷、そして雪の中、厳しい条件の中、抗してやり遂げました。

自虐的なものではなく、強制的なものでもない、生きる為のこれが最良の与えられた試練だと思っていました。

外観ではみすぼらしい様子となっても、お届けを完配した時の清々しい達成感は、年数が経っても体のどこかに残っています。

目に見えない大きい力に護られている….そんな気がするから不思議です。

心も体も健康!

今、涼しい夜空に、真ん丸いお月様が冴え渡っています。

頑固この上ない熱帯夜は、どこかへ飛んで行っちゃった。

やっと、秋が来てくれました!

実は私、三十路の後半に、幾たびかの交通事故に遭いました。

一年以内に5件とは、信じられない程の当たりの年だったわけです。その度、生きるか死ぬかの経験をしました。

頭、腰、足首の痛み、そして、毎朝起きるたびグルグル舞い続けるめまいと吐き気。時に嘔吐。表現に出来ない苦しみです。

それを隠すように元気に振舞ってはみますが、体が病むと健康的な物事の考えが出来ません。

「私の寿命って、そう長くはないかもしれない。50歳まで生きたら・・・」

とまで思っていました。

「残りの時間、如何に生きるか?如何に死ぬか!子どものために、如何に死ねるか?」

と、よく考えていました。

ところが、人間の治癒力って素晴らしいですね。

本来の月は真ん丸く、それと同じように私も丸く調っているのだと心の在り方を知った時、全てが楽になりました。

このように真ん丸いお月様を見ていると、本来、人の心もお月様と同様かしら☘って思います。

当時の不安は何処へやら…お蔭様で五体満足、心も健康に今を生かせて頂いています。

死を考えるのは、怖いことですが、いつも死を意識して生きることは、自分の人生を真面目に考える上で大切なことだと思います。

死を意識して生きていると、まさに真面目に!
ことさら真面目に!今を生きています。

今、心も体も健康だからこそ そのように感じるのです。

あくび

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心も体も健康だからこそ
人生は一度しかないことにふれたとき、
今という時間を大事にして生きてゆきたいと、思いました。

幸せな思いを起こし
家族の為に、自分の為に、心に余裕をもち、心を込めて大事な時間を生きてゆきたいものです。

人生は一度っきり!

今という時間を大事にして心から幸せな思いを起こして生きてゆくことが、幸せになる為に大切なことなのだとつくづく思います。

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なんとも変な喜び

日曜日、友人の玄関先で 犬にかまれた。
飛びかかってきた瞬間 後ずさりしたが 間に合わず 左足すねをブチッと やられた。消毒を何度も念入りにした。
今では、4本の牙が刺さった後がかさぶたになり、その周辺がこんもり赤くなっている。
友人から、「病院へ行って頂だ~い。」とメールや電話で再三の願いがあったので、病院へ行って来た。
「赤いほてりがある時は、抗生物質の薬を処方したほうが良い。」と 医師から教わった。
夜、友人の電話が入り、「病院へ行って来たよ。」と 報告をした。
友人は「良かった。良かった。」と ひとまず安堵した様子だった。
病院を躊躇することは「友人に対してなんとも思慮の足りないことをしていたんだな。」と 申し訳なく思った。
「狂犬病にかかった時は、運が悪かったと思って、まぁ~死ぬ時を待つしかないよ。」といった調子だからね~。
私は自分の怪我に対して、ちょっと鈍感だ。
そんな鈍感な私でも犬に追いかけられ、「出来れば生きたい、死にたくは無い!」と 思ったことがある。
しとしと雨の降る日だった。私は、早朝4時、バイクで新聞配達をしていた。
工業団地のある一画に差し掛かった時、新聞をナイロンに入れようと立ち止まった際、数匹の犬に囲まれた。
「ウゥーーーーーーー。」と うなる鳴き声。
暗がりの中 白く光る牙。私を取り囲むようにじわじわ寄ってくる。
私はバイクにまたがり必死で走った。グリップをしっかり握り回し速度を上げた。
犬達は、容赦なく私の足首に次々飛びついてくる。
左足でギアを代えると即座に両足をVの字にハンドル程の高さまであげた。
私は、その格好のままスピードを上げ、直進するしかなかった。
一番大きい犬が最後まで追いかけてきた。
犬の目線は、すきあらばいつでも飛びつこうと私の足に向けられている。
何度目かの交差点を抜けると、犬はピタッと追いかけてこなかった。
縄張りがあったのだろう。私は犬たちの領域を荒らしたのだ。
あの区画に差し掛かったら立ち止まってはいけないことを 逃げ帰った私は、所長から知らされた。
犬の必死の形相がいつまでも目に浮かぶ。負けたくは無かった。立ち止まるわけにはいかない。
しんなりした奥様では生きていけない。もうちょっと強くなりたいと意欲が出てくる。
再度挑戦!
工業団地の塀に埋め込まれたポストに、走行しながら瞬時に片手で新聞を三つ折にして投げ込む。
犬のうなり声を聞きながらただひたすら突っ走り、その並びを同じように5件お届けする。
その工業団地を無事抜けた時、喜びが湧いてきた。
何事にも喜びが無いと前進しないものなのだろう。今となっては、なんとまぁ変な喜びだなぁと思う。
その後十余年そのお届けを頑張った。
「出来れば生きたい、死にたくは無い!」と 痛切に思ったあの時の感情が懐かしい。
「出来れば若返りたい!」と思う今の私は、安穏としている。
人生の折り返し地点を過ぎたかな?っと思う今日、特にしわとか しみが増えた分けではないけれど、普段の苦労が顔に出ないよう気を配っている。
家庭を切り盛りしなければならないといっても、あの経験を自分から背負うことはもう出来ない。
もう懲り懲りyo!
バラ

LOVE

プレゼント